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デジタルアーカイブ

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大阪府では、関西を拠点に戦後の美術界で活躍した現代美術作家の作品をはじめ、1990年代に開催した「大阪トリエンナーレ」の受賞作品など、絵画や版画、彫刻、写真等約7,900点の美術作品「大阪府20世紀美術コレクション」を所蔵しています。ここでは、その所蔵作品を、作品名や作家名、キーワードから検索し閲覧いただけます。

作家解説

  • 伊藤 継郎
  • Tsuguro ITO

松原三五郎が主宰する天彩画塾や、赤松麟作の洋画塾に学ぶ。1930年芦屋に転居する。1931年鍋井克之を知り、信濃橋洋画研究所に通い始める。戦前の「二科展」「全関西洋画展」「新美術家協会展」に出品をしていたが、1941年小磯良平、猪熊弦一郎らの誘いによって新制作派協会に転じ、会員となり出品を続けた。
1944年満州に出征し、終戦後まもなくシベリア抑留の体験を持つ。復員後の1948年、芦屋美術協会の創立に吉原治良、井上覚造、藤井治郎らと参加、アトリエでは頻繁に研究会、デッサン会を開き、子供画塾をひらいて児童画の指導にあたった。また、「新制作派協会展」を軸に、「美術団体連合展「日本国際美術展」「日本現代美術展」などに出品する。1961年には鍋井克之の誘いで浪速短期大学、大阪芸術大学の教授となる。1965年には黒田重太郎の推薦で京都市立美術大学西洋画科の教授となり、戦後、関西洋画壇の指導者として活躍した。
作風は、実証的な観察に基づきながらも、グレー系の色調の厚塗り絵の具を用い、様式的な統一性が感じられる落ち着いた雰囲気の画面をつくることに成功している。1969年には「芦屋市民文化賞」、1990年には「兵庫県文化賞」を受賞している。
また、パブリックスペースである南海電鉄のなんば駅には、壁画「沿線まつりシリーズ」が展示されている。
大阪府は1993年、伊藤継郎氏より絵画・素描作品238点の寄贈を受けた。

主要参考文献

「伊藤継郎画集」 編集・発行 伊藤継郎画集刊行委員会(猪熊弦一郎、脇田和、小松益喜、土井憲治、山村康六) 1990.11
「伊藤継郎展 -画業60余年の歩みー」芦屋市立美術博物館 1991