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デジタルアーカイブ

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大阪府では、関西を拠点に戦後の美術界で活躍した現代美術作家の作品をはじめ、1990年代に開催した「大阪トリエンナーレ」の受賞作品など、絵画や版画、彫刻、写真等約7,900点の美術作品「大阪府20世紀美術コレクション」を所蔵しています。ここでは、その所蔵作品を、作品名や作家名、キーワードから検索し閲覧いただけます。

作家解説

  • 津高 和一
  • Waichi TSUTAKA

大阪市に生まれたが、すぐに武庫郡(現在の西宮市)の養子となる。
戦前、シュルレアリスム系の現代詩人として出発したが、言論弾圧にあって絵画を描くようになり、大阪中之島洋画研究所に通って絵を学ぶ。
戦後は「行動美術展」を中心に作品を発表、初期の具象絵画の時期を経て、 次第に線描のフォルムを主体とした抽象的な作品へと移行する。
1950年には太い楳と序塗りによる抽象作品が中心となり、1952年には完全な抽象作品に達する。1960年代にはカリグラフィックな叙情的抽象に移り、1970年代は簡潔な色面と線描による平面的な表現へと変わっている。それらの作品の根底に流れているのは、詩人としての感性とエスプリによる表現であったといえる。
「現代日本美術展」「日本国際美術展」「サンパウロ・ビエンナーレ展」「グッケンハイム賞国際展」をはじめとして、アメリカやヨーロッパでの国際展に出品し、抽象系を代表する日本現代美術の画家として活躍した。1965年「西宮市民文化賞」、1967年「兵庫県文化賞」を受賞。’68年からは大阪芸術大学教授をつとめ、1986年には「大阪芸術賞」を受賞している。
1993年には、国立国際美術館と大阪府の主催で「津高和一展」を機に絵画作品90点を収集した。
1995年1月17日未明、兵庫県南部を襲い、5000名を越す死亡者を出した阪神淡路大震災にに遭い、古い農家を改造した自宅倒壊の下敷きとなって夫妻とも没する。

主要参考文献

「津高和一作品集 もうひとつのコスモス 津高和一」津高和一作品集刊行委員会 1987.10
「透明な抽象空間 津高和一展」 西武百貨店・つかしんホール 1988 
「津高和一展図録  点・線・面のポエジー」大阪府、大阪府文化振興財団 1993
「津高和一とゲンビの作家たち 1950年代のモダニズム」兵庫県立近代美術館 1995.12
「津高和一『追悼』展 絵画と詩のはざまで」 西宮市大谷記念美術館 1996