関西学院大学社会学科卒業。在学中に、カミソリの刃ばかりでできたオブジェを作成する。1948年より吉原治良に師事し、具体美術協会結成に参加する。以降、「具体美術展」に連続出品する。
1949年から1952年にかけて穴のあいた作品を制作し、ルーチョフォンタナよりも早い穴空き絵画として評価される。1952年「モダンアート協会賞」受賞。1955年「真夏の太渇に挑むモダンアート野外実験展」では、トタン板に穴を無数にあけた作品を発表。「第2回具体野外展」では、木箱の中に吊り下げられた板の上を鑑賞者が歩き、身体で感じる作品〈どうぞこの上をお歩きください〉を発表する。さらに1956年には、長さ4メートル、口径30センチの鉄管に、袋入り絵貝の弾をつめ、アセチレンガスの爆発で発射して、約10メートル四方の赤いピニールの布に吹き付けた、大砲を使ったアクションの作品〈大砲絵画〉(畳50枚の大きさ)を制作して、ライフ誌の取材を受ける。また地面に大きく広げたキャンバスに絵具入りの瓶を投げ付けて、中央においた石にぷつけて、絵貝を飛び散らした作品などを発表。
1957年の舞台を使用する「貝体美術展」では、点灯した電球、白いグローブ、白い棒、白いピンポン玉、紙吹雪を使った舞台作品〈物体の打撲〉を演出、1958年には、2つの異なった映画を同じスクリ ーンに映写する〈前衛芸術〉とパフォーマンスを発表する。
束京、大阪で「朝日新人展」、1962年にはグタイビナコテカで第1回個展を開催するなど、アクション(行為)とハプニングの文脈で、実験精神に満ちた活動を展開する。
1975年「アーティスト ユニオン」結成に参加、全国事務局長 となる。1976年からは、メールによるアート(メールアート)を本格的に始め、年間60ヶ国8000のネットワーク交流によって世界の多くのブロジェクトに参加する一方で、 日本障害者芸術文化協会の会長も勤める。1992年、海遊館(大阪)では日本ではじめての大がかりな障がい者の芸術展を企画。 スキンヘッドにスライド映写するといった活動でも知られる。
1998年、アメリカ・ロサンゼルス現代美術館の「戦後の世界展」。1999年デビット・ボウイ、オノ・ヨーコとともに再び「ベネチア・ビエンナーレ」に出品。2004年「ベネチア・ビエンナーレ」のプレイベントとしてヘリコプターから絵具を落下させて絵画を制作すすパフォーマンス、2006年にはデュッセルドルフにて「ZONEZERO展」、中国新竹市「国際ガラスフェスティバル」に出品。
1997年、大阪府は嶋本昭三氏より絵画作品3点を収集した。
デジタルアーカイブ
DIGITAL ARCHIVE
大阪府では、関西を拠点に戦後の美術界で活躍した現代美術作家の作品をはじめ、1990年代に開催した「大阪トリエンナーレ」の受賞作品など、絵画や版画、彫刻、写真等約7,900点の美術作品「大阪府20世紀美術コレクション」を所蔵しています。ここでは、その所蔵作品を、作品名や作家名、キーワードから検索し閲覧いただけます。
作家解説
- 嶋本 昭三
- Shozo SHIMAMOTO
主要参考文献
「AUの論理 嶋本昭三」 オペレーションズリサーチ壹番館 1980.4
「GUTAI & A.U SHOZO SHIMAMOTO 嶋本昭三」 オペレーションズリサーチ壹番館 1983.4
「GUTAI & A.U SHOZO SHIMAMOTO 嶋本昭三」 オペレーションズリサーチ壹番館 1983.4